FC2ブログ

私達にとってのご神仏様の存在とは?

私は旅の番組や日本の里山等の自然を旅する様な番組が大好きです。
今回は、とあるヨーロッパの街の旅の放映を見ておりました。

美しく、そして歴史の重みある街並み・・・。
ヨーロッパは本当に時間が止まっているようです。
私の前世の大半はヨーロッパでした。なので、ヨーロッパの古い石畳、町並み、教会の鐘の音などを聞くと「あ~懐かしいなぁ」と感じてしまいます。

imageCA3CQCSS.jpg

いつもの様に楽しく番組を見ていました。
すると、「いつも、良き母が見守ってくれているんだ」「良い天気だろ? 今朝、神様にお願いしたからさ」とでインタビューに答えてくれた現地の方々。
はて、「良き母」と言うのは何の事でしょう?? 
指差す遠く見える高台には高々と古いけれど美しい教会。
「良き母」と仰っていたのは、きっとマリア様の事なのでしょう。

こんな風に海外では当たり前の様に日常生活の中に神様の存在があるんですね。
何だか、とっても素敵です。

日本でだって、里山に自然と共に暮らす人々は鎮守の神様、山の神、田の神など厚く信仰されて朝に晩に山々、お日様に向かい感謝と共に手を合わせていらっしゃる。
古代から自然と共に共存共栄して自然を神様と崇め尊んで来たのが日本人なのです。

IMG_6786_convert_20130326180540.jpg

でも、もしも日本の街かどで同じ様にインタビューしたら・・・。
ヨーロッパで聞いた様なこのような声は中々、聞けないかもしれませんね。

まず、「神様が見守ってくれている」などと言おうものならば、「新興宗教??」「胡散臭い事を言ってるな」「何なの、この人。やばいかも、騙されたらどうしよう」等と思われて、
言った瞬間にサ―っと引く感じになってしまう。初めて逢った方や知らない人に対しては勿論ですが、友人にさえも中々、言いづらかったりするかもしれません。
私もこの様な苦く悲しい体験。はい、勿論、しております。(^ ^;)

「神様に見守って戴いて生活しているんだ、たがら幸せなんだ」と自然体で言える人々。
この旅番組を見ていて、羨ましいと同時に、何故、日本人はそう言える人が少ないんだろう??と。宗教国、日本、八百万の神の国、日本なのに。

img_1191844_29574668_1_convert_20130326180640.jpg

過去に神道、仏教、キリスト教などを軸に様々な新興宗教が多く出て来て、その中の一部の心ない団体から騙されたという事件等が多くあったからでしょうか。
それとも、明治時代からの軍国主義=国家神道という事から天皇崇拝、神道は危ない、危険等と思われてしまったからでしょうか。

いずれにしても、「ご神仏様を信じる敬い祀る=胡散臭い、危ない、恐い」
となってしまっているという事は悲しい事です。
元来、日本人は信仰深い民族だったと思うのですが…。

でも、初日の出の御来光を拝んだり初詣に行ったり、門松立てたり、お盆には盂蘭盆会の供養、盆踊り、秋祭りにはお神輿などなど。この様に、日本の四季折々の行事はご神仏様を中心に行われている事を皆様は御存じでしょうか。

fuji-nishifunatsu-sengensanjin23_convert_20130326180356.jpg

では何故??
見えない尊い存在、自然への畏敬の念よりも恐怖と憎悪を抱くのは何故なのでしょうか。
う~ん・・・。分らない。 私の大きな謎??の一つです(^ ^;) 

日本人の心

先日、テレビで『熊野古道』で神社の杜や山の木々を守る方々の日々を追った番組を偶然に見ました。

その中の一人の方が「木を倒す 切るとは言わない 木は魂が宿る。
木を寝かす、と言うんです」と仰った言葉が心に響きました。
以前に木から仏様を作られる方の時も同じ事を仰っていらした。
間伐で木を寝かした後、その木の全てを大切にしたい。木には精霊が宿っているのだから、と…。

山や木、自然の恵みに感謝して尊い命を戴き、人間の為に生かす。
そして魂は人々の心に生き、永遠に続く…。
決して殺す、と言うのではない。終わりと言うのではないのです。

125_convert_20121226090102.jpg

山に感謝、木の生命を尊ぶ日本人の心。
忘れ去られたこの大切な日本の心を再び思い出して戴きたい・・・。
心が温かくなった時間でした。

葬儀のあり方について。 亡くなられた方を見送る事とは?

現代社会において何事もスピーディ、簡素化、合理的に物事を片付けようとする傾向があるように思えます。特に先進諸国の欧米の影響は伝統文化を持つ日本にもとても影響している事のようです。

先日、テレビで「葬儀のあり方」についてのトーク番組を偶然に見ました。
「葬儀はお金が掛かり過ぎる。やる必要はないのではないか、亡くなっているんだからどうせ分からないし…。最近は直葬のような簡素化された葬儀?をする事もあるようだ」

蜀咏悄a+139_convert_20121008132910

この「直葬」については何年も前に私の恩師の講義で伺った事があります。
「直葬」とは葬式をせずに亡くなった亡骸を葬儀をせず直接、荼毘にふす事です。
火葬場の窯の前で簡易的に仏教ならば経を上げ神道ならば大祓詞を奏上する感じでしょうか。とにかく、手短に簡単に、ということなのです。
但し、例外として事件や事故などで亡くなられた身寄りのない方だったりする無縁仏の方々はこの直葬になってしまうかもしれません。もしそうなったとしてもその場に立ち会った関係者の方々に手厚く送って戴きたいものです。

いずれにしてしも恩師は例外ではない一般の方々がこの「直葬」についての事をとても嘆いていらっしゃいました。
亡くなられた方の生きざまや思いはどうなるのか!?・・・と。

単に葬儀に予算を掛ける、やれば良いという事ではありません。
形ではないのです。
こんな事をお話ししていると地鎮祭のそれと同じ様な気がしてきます。
イベント、簡単にチャッチャッとやって、表向きだけ、取りあえずやればいい。
そういう事ではなく!! (怒り)
亡くなられた方を今まで真摯に生きていらした尊い人生の数々に敬意を表し手厚く温かくお見送りをする、と言う事がとても大事だと思うのです。
私も恩師の思いと同感でした。


私も修行中、恩師が斎主(いわいぬし)をされた神葬祭に祭員としてご奉仕した事が何回もありました。神葬祭とは神道の葬儀の事です。
その時、恩師は丁寧に亡くなられた方の人生の系譜の出来事等、生きざまを事細かく祝詞に散りばめて、亡き方への敬意と感謝を込めて、そしてご遺族の方々の思いをも含め本当真心のこもった美しい大和言葉で綴られた素晴らしい祝詞を作られ奏上されていらっしゃいました。
神葬祭が神前拝礼から始まる時の葬儀の会場の空気が祝詞を奏上されて行くにつれて変わっていくのが背後から感じられたほどでした。
これが、葬儀、というものだ、と私は涙したものでした。
そして何より、亡くなられた方の感謝の言葉を私は聞く事が出来ました。
葬儀会場と火葬場で亡くなられた方が正装で出ていらっしゃって丁寧にお辞儀をされて
恩師と私達が真心込めた神事を執り行った事に対しての感謝の言葉を言って下さいました。
とても嬉しかったです。
見えないものを信じない方々の言葉として、「亡くなった人は分からない」と。
いいえ、亡くなられた方もちゃんとみていらっしゃるのです。
私はお通夜、葬儀などでも多くの亡くなられた方がご自身の式に御参加されていらっしゃるのを見ているのを体験して知っています。

大きな葬儀をする事が目的ではありません。真心だと思います。
チベットではチベット仏教に則って切り刻んだ亡骸を僧侶たちが大地に撒き鷲(鷹)に食べて貰い魂を天に返す儀式をします。周囲には沢山の遺族達、送る方々が取り撒き一部始終を見つめ亡くなった方を見送るのです。
古代の人達は皆、そうして送って来た筈です。
大きさでは無く、形ではない、真心を持って見送る、と言う事がとても大事だと思います。

蜀咏悄a+161_convert_20121008133010

でも、私の葬儀・・・どうなるのかしら??
ちょっと考える歳にもなってまいりました。(^ ^;)
山に散骨して欲しいなぁ、とか思ったり・・・。
「お前は伏見に行くんだろう??」と主人に言われて
「そうだねぇ。。。神様の元に行かさせて戴ければ嬉しいな。でも、入り口で断られたらどうしようか(笑)」
何とも、現実味のない会話ですね。(^ ^;)


蜀咏悄a+128_convert_20121008133049

あなたにとっての幸せ・・・。

畑から野菜を収穫する、田んぼから米を収穫する…山から気を切り倒す。。。
当たり前のように陽が上り陽が暮れる。昼は陽が大地を照らし月が夜を照らす。
雨が降り大地を潤す。

朝、目覚める事。睡眠を取れる事。
食べものを自分の口から食べられる事。雨風凌げる家に住まえる事。
当たり前の事と思っている日常の出来事全て・・・。
家族が心身健康に暮らせる事。笑う事が出来る事。
幸せな事だと感じます。

002_convert_20120918221900.jpg

先日、いつものように実家の父から無農薬の野菜を貰い神様にお上げしました。
不揃いで不格好な野菜たち…。
けれども、一つ一つが大地にしっかりと根を張り一生懸命に生きて大切な実を付けて・・・
いじらしい位に思えます。

一生懸命自分で手を掛けたもの、作ったものは丁寧に扱いたくなります。
野菜や果物の様な収穫物だったら食べるのが惜しく感じたりしてゆっくりとかみしめて大切に食べたくなります。
出来あがった物、お店で並んでいる食品は粗雑に扱ったり捨てたり平気で出来る。
私達が自然から戴いたもの・・・それは自然から尊い命を戴いて自分達の命を繋げて行くのです。

自然の一部として生かされていること。
当たり前の毎日。家族と共に健康で笑顔で平穏な日々を送れる事。
幸せだと感じます・・・。
感謝。

自分の軸をしっかりとする事の大切さ・・・自分を信じること

「自分の軸をしっかりとする事の大切さ・・・自分を信じること。」
最近、とみにこの事がキーワードとなる出来事、クライアント様からの御相談が多い様な気がしていたのですが、私にも再確認とでも申しましょうか、そんな出来事がありました。

神様に日々、向かい合っているにも関わらず凡人(ぼんと)の私もたまに自分を振り返って疑問に思ったり悩んだり、凹んだりする事があるのです(^^;)
大なり小なり、人間ですからありますよねっっ。(言い訳をすな!! 笑)

「軸を取るにはどうしたらよいのでしょう」と良く聞かれます。
それでは、まず軸をしっかりとしていないとどうなるのか・・・。
周りの言動や行動に気を取られて自分を見失ってしまいます。
この原因としては、周りに気遣い過ぎる人、周りのエネルギー(空気)に敏感な人がなりがちのような気がします。たまに、八方美人で人に良く思われたいという場合にも起こりえますが…(苦笑)

私もこのような仕事をしておりますと自身のエネルギーを枯渇する事は絶対に避けねばと日々、精進しつつコントロールするようにしているのですが、たま~にエネルギーエンプティの時をねらってこのようなネガティブにやられる事があるのです。
気を付けてていても・・・です。

日々、自分の軸をしっかりと保つこと。グラウンディングがいかに大切か思い知らされました。
これがないと自分が糸の切れた風船状態になってしまいどっかに飛んで行ってしまうのです。「私なんか、認めて貰えない、批判された。存在する意味がないんだ・・・」と言う事で自害に繋がっていくのです。
究極な事のように思えるかもしれませんが身近にあるとても深刻な問題だと痛感しています。
これは他人事ではなく、いつ自分にも起こるかもしれない事なのです。
人間と言う物は本当にアンバランスなデリケートな生き物ですから・・・。
その落ちてしまった時に傍に手を差し伸べてくれる存在がなかったら・・・
これは考える事も恐ろしい結果となります。

でも、私が軸を取られて「しまった!!」と思い神様に向き合わせて戴き御ありがたくも神託を戴けました。
でも神様は「また、やったのか、そなたは。仕方ないなぁ(笑)・・・」という感じでしょうね、きっと。
005_convert_20120617150424.jpg


それでは、「自身の軸を取られない方法。」
自分の信頼している人、尊敬している人でない、面識の全くない人から誹謗中傷されても自身にとっては何の意味もないこと。

そして、その方が悪口を見えないところで言っても自身には何の意味の無いことなのです。悪口をいうなど、もってのほかですが…。
これは仏法、儒教、その他の宗教での教えにもありますよね。
特に仏教でお話ししますと、「身・口・意・から生じる汚れを三毒」と言います。
その中の「口」の汚れを更に「妄語:もうご(嘘)」「綺語:きご(真実ではない、飾り立てた言葉)」「悪口:あっく(他人を卑下し、馬鹿にし、傷つけるような言葉)」「両舌:りょうぜつ(相手によって違った事。所謂二枚舌の事)」の四つに分けて「口の四悪業」として説かれている
「十善法語」なのです。
とにかく、人間としてしてやってはいけない事です。
061_convert_20110930101057.jpg


その方は貴方の人生の責任を取って下さっていますか? 
真摯に貴方の事を愛して下さっていますか? その方との信頼関係はありますか?
その方を尊敬されていらっしゃいますか?

そのような事に疑問があられた時には、その方が発した事に耳を傾け動揺する事の価値はありません。
自分の心の声に忠実に自分を信じることです。
人は人、自分は自分なのです。
これは、人様に迷惑を掛けているならいざ知らず、大概は人の為、弱いものの為に心を開き日々、真摯に生きていらっしゃる方でしたら全く関係の無い価値のない事なのですから。

私は霊能者として仕事をしておりますので、いろいろな誹謗中傷は覚悟しておりますので大概は聞き流しますが、たまに「え~そこまで言うの?」と言う事が良くあります。
真摯に誠心誠意セッションさせて戴き、結果も出し御相談者も御納得されたと思われたその後で「霊能者のくせにお金取るなんて、地獄に堕ちろ!!」と陰口言われてる事を風の便りで聞きました。(苦笑)
まあ、この方の場合は完全なる憑依の状態になられていたので私にご縁のない方だと思い「近寄らないこと」と逆に気付かせて戴き安堵しております。

確かに私はお金は戴いておりますが、正当な料金設定、神様にご祈願して御相談させて戴いておりますので神様へのお礼として戴くお玉串として戴いております。
無謀な料金を戴いたり壺や仏像を売ったりはしていません(^^;)

また、このお金のことでも「高い、安い」といろいろとあろうかと思いますが
これもその方の価値観ですので気にし出したらきりが無いのですが…。
私はお金を受け取る必要のない方、金銭的に困っていらっしゃる方の御相談も、もちろんさせて戴いております。人や動物たちに関しても無償でさせて戴く事もしております。
それは、臨機応変に必要であればそのようにしております。

私に限らず普通のお仕事をされていてもいろいろと辛い事、理不尽な事、沢山ありますよね。
人間、十人いたら十人、生きて来た環境、経緯も違いますし、価値観も違うのです。
ですから、「理解し合えない」、「認めて貰えない」そんな事もあって当然と言えば当然なのです。

私が自身の考えや生き方を人様に強要しない、認めて貰おうとしないのはそこなんです。
私はご縁があって私の事を信頼して来て下さる方、ご縁のある動物達のお役に立たせて戴く事だけなのです。
私は神様の尊い御力を戴き、必要な人、動物たちにだけに神様の手となり足となって
神様の代わりとなり手を差し伸べさせて戴いております。
そんなこんなで今日も軸を神様に整えて戴きましてこれから仕事を開始できます。(苦笑)
毎日の積み重ね。精進、精進…。
それでは行ってまいります。

019_convert_20120615094320.jpg



sidetitleプロフィールsidetitle

くりぼっくり

Author:くりぼっくり
神さまと人と動物たちの中取り持ち役として・・・。

宇迦之御魂大神様の厚き尊き御神徳の元、
神職、スピリチュアルカウンセラー、スピリチュアルアニマルヒーラーとして皆さまと動物たちの魂の救済をさせて戴いております。

☆御相談、詳しいお問い合わせ等は「みどりの杜」HP、「お問い合わせフォーム」からお願いいたします。
http://takanooffice-midorinomori.com/

sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle最新トラックバックsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitleブログランキング参加中!!sidetitle

FC2Blog Ranking

sidetitleブロとも一覧sidetitle

新宗教 情報とリンク & 宗教関連ニュース
sidetitleアクセスランキングsidetitle
[ジャンルランキング]
ブログ
1156位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
写真ブログ
245位
アクセスランキングを見る>>
sidetitleフリーエリアsidetitle
sidetitleフリーエリアsidetitle
sidetitleフリーエリアsidetitle
sidetitle検索フォームsidetitle
sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleリンクsidetitle
sidetitleブロとも申請フォームsidetitle

この人とブロともになる

sidetitleQRコードsidetitle
QR