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言霊の大切さ

「言霊」って、皆さまも多くの方が一度はお聞きになられた事があると思います。
サザンオールスターズの歌にも確かあったような??私は特にファンではないのですが(^o^;)
読み方は、「ことたま」と濁らずに澄んで発音したり、「ことだま」と読んだりします。濁って読むのは間違いではありませんが、神道では澄んで読む事が多いですね。

さて、「言霊」とは一体、何でしょうか?
日本古来から、言葉の中に宿るカミ、精霊、または言葉そのものが持つ神秘的なパワー、生命力の事、また、このようなパワーが宿ると信じられ日本文化の特徴の一つとする説があります。

神事で神々と向き合う時、この言霊の霊力を借りて、言葉の中に潜んでいる不思議な力によって人の心を動かしたり、モノ(物)やコト(事)の中に宿っている精霊、神に働きかけて自分達を取り巻く状況や起こっている現象を変えようとする精霊信仰の一環として捉えられたりする見方もあります。

また、本来は咒文(じゅもん)、咒詞のみが神の威力に裏付けられた権威を持っていたとされたりしていました。


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言霊信仰が歴史的に自覚されたのは万葉の時代になってからとされる考え方もあるようです。
和歌の世界では「言葉が、あめつちをうごかす」ものという考え方が伝統となり国学者や神道家においても言霊は重要な観念となりました。
万葉の歌人、柿本人麻呂が、「敷島の日本(やまと)の国は言霊の佑ふ(さきはふ)国ぞま福(さき)くありこそ」と詠み、その一方で「葦原(あしはら)の水穂(みずほ)の国は神ながら言挙げ(ことあげ)せぬ国然れ(しかれ)ども言挙げぞわがする・・・」と一見して見ると相矛盾したようにみえるけれども、
つまり、「日本は言霊によって栄える国だから、むやみやたらに言葉を発してはならない」、と言霊の大切さを言っているのですね。

諸説あってどれが正しい、とは断言はできませんが・・・
要は、「言葉」と言うものにはパワーがあると言う事は理解できます。
喜び、悲しみ、怒り、・・・様々な感情と共に発せられる言葉には見えないパワーが秘められているようです。
むやみやたらに人を傷つける言葉、愚弄する言葉、汚い言葉は聞いていても言っても後味が悪いものです。
できれば、気持ちの良い清流のような気分になる言葉を発したり、戴いたりしたいものです。
この素晴らしいポジティブな言葉の持つエネルギーは人を動かす事も出来るように思いませんか? 
もし、落ち込んだりした時、「よーし、大丈夫!! 出来るぞ!!」みたいな前向きな言葉にはポジティブなパワーがあります。凹んだ人を見た時、「皆がついてるよ、一人じゃないよ。元気出して!!」て言うと励まされますものね。

言葉がやたらと簡略化されメールの絵文字などが文字や文章の代わりに使われています。楽しくてそれはそれでよいのですが。。。
若い人たちの間で使われている日本語??のような日本語でない言葉が氾濫している昨今・・。
古き良き言霊…日本人の心…大切にしたいものです。

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宗教と信仰って何がちがうの??

私のセッションルームにいらっしゃるクライアントさんから、よくこんな質問される事があります。
「宗教って何ですか?」「神さまと仏さまって?」
「いろいろな神さまや仏さまを祭ると喧嘩しませんか?」などなど・・・。

この、いろいろな神さまと仏さまを一緒に御祭りすることに関しましては、
明治維新前までは神仏習合の時代がずっと続いていたので、仏さまと神さまを一緒にお祭りすることを普通にしていました。
お寺の中に神社がありお坊さんが神道の神事もしたり、神社の中にお寺があったりして仏さまを安置していたのです。
けれども時代の流れで神社と寺院は別々に切り離されてしまいました。
今でも、その名残りはありますが・・・。
この事については長くなってしまいますので、又、時を改めて書きたいと思います。
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さて話は戻りまして、ご神仏さまについては皆さん、疑問が沢山あるようです。
私たちにとっては身近な神さま、仏さまのはずなのに、本当の処は「?」
実際には知らないこと、知らない事だらけのようです。
以前のブログでは、神さまや仏さまについての事を書かせて戴きましたので、
今回は、「宗教」と「信仰」について書いてみようと思います。

よく、私もクライアントさんからお聞きされた時には、
『「宗教」と「信仰」は違いますよ。』 とお答えしています。
私が、様々な神さまと仏さまのお力をお借りしてセッションしているのを目のあたりにされて、みなさん、とても疑問に感じてしまうらしいのです。(^o^;)
「高野さんは神職ですよね。って事は、つまりは神道でしょ?? なのに、神道以外の他の宗教である仏教やキリスト教の神さまや仏さまと接しても良いのかしら???」って。
そういえば、神職資格を取得する予定の者は神道に改めなければ資格取得の為の入学ができない、との神社本庁神職の規定があったような気がしますが・・・。それに対して私は反論するつもりは毛頭ありません。
私は古神道神職ですし神社本庁傘下の神職ではありませんし、神道のみに
改める事も必要ないのでしていません。

みなさん、神道を仏教やイスラム教、ヒンズー教と同じ宗教だと思っていらっしゃる方が多いと思いますが・・・。
私は神道は宗教ではないと思っております(^o^;)賛否両論ありますが・・・。
神社本庁に属する神社は全て宗教法人です。そう言った事から見れば、神道は宗教かもしれません。けれども、一部の神社では宗教活動を避けている傾向がある事も事実。戦前の神社は「国家の宗祀であって、神社は宗教ではない」という考えが根底にはあるようです。
また、神道には宗教を超越した宗教の源泉、霊性開発の原基として考えていらっしゃる神道関係者も沢山いらっしゃるようです。
山、川、海、滝、田、木、森、岩、石、鹿、鳩等の生きとし生ける物たち・・・
私たちを取り巻く自然そのものが全て、尊い存在である神なのです。
ですから、古代から人々は自然を敬い、自然の怒りである天災を治め、五穀豊穣と安全を祈ってきました。
これは、日々の生活に密着していました。
朝起き仕事を始める前には、お日さまに向かい柏手を打ち、海に漁に出るときは海の神さまに漁の安全を祈り、田植えの時には、田の神さまにお供え物をして豊作を祈る…。
この日本古来からある民俗信仰の心こそが神道の心であると私は思っています。

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さて、話を戻しますと、
私の家にはもちろんご先祖様ご供養の為の仏壇もありますし、神棚もあります。
主人の先祖は浄土真宗大谷派ですので、毎日、阿弥陀様にご先祖さまご供養をお願いしております。
私の実家は日蓮宗ですので、実家のご先祖さまには日蓮宗のお経も上げます。
もちろん私自身、どの宗門宗派にも属しておりませんので何宗・何教徒でもありません。

ちなみに、神道は八百万の神々さまです。各々の神事に際して、あらゆる神さまに降りて戴きます。
例えば、病気祈願はこの神さま、家内安全はこの神さま、地鎮祭はこの神さま、厄払いなどはこの神さま、などなど。
それぞれの得意分野とされていらっしゃる神さまにお願いするのです。
もちろん、私のご守護神さまはいつもどの神事にも降りて来てくださいます。(^_^)
そしてまた、様々な仏さまにもコンタクトさせて戴く事が可能なのです。
私のご守護仏さまはもちろんのこと、これも神さまと同様に、その得意分野の仏さま、またはそのクライアント様の守護仏さまなどにご守護をお願いすることができます。

「え~仏教と神道??その宗門宗派の信徒でもないのに??ますます、分からない・・・(@o@)」となるかと思います。

ではでは、「宗教とはなんぞや??」なります。
Wikipediaから引用させて戴きますと、
「宗教とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである」 とあります。
なるほど~、世間一般で言う「宗教」というのは、つまりは「宗教団体」という事なのでしょうね。
仏教でしたら宗門宗派、新興宗教でしたら○○教、などなど・・・。
けれども、その「宗教」の定義となる、「宗教とは何か」という問いに対しては、宗教者、哲学者、宗教学者などによって非常に多数の宗教の定義が試みられてきたようです。「宗教の定義は宗教学者の数ほどもある」らしいですね。(x_x)
まあ、いずれにせよ、「宗教」=「宗教団体」と言うことでしょうか。

この定義にある様に、普通人は「いずれの宗教団体に属していなくても、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であるご神仏さまにお願いしても良い、自由である」という筈なんですが・・・。
宗教団体によっては経典・教義に依り一神教崇拝で他の宗派は邪宗とされているところもありますね・・・。
だから、自分の属する宗教団体のご神仏さましか信じず、他のご神仏さまには信心してはいけない・・・。
              

私も子供時代にはとある新興宗教に入信していまして悲しい経験があります、というか、今となっては笑い話ですが(^_^;)
あるお祭りで同級生に誘われて皆で神社に行った時の事です。
皆は、鳥居をくぐり、どんどん境内の中に楽しそうに入って行くのですが、
私は足がすくんで立ち止まってしまいました。
「なんでこないのー??早くおいでよ」と同級生たちに呼ばれるのですが、一歩も進めないのです。私は、「鳥居をくぐると地獄に落ちる」と信じていたのです。
その頃、その入信していた新興宗教の方にそう教えられていたからです。
私はまだ小学生…。同級生に変に思われたくなくて、同級生たちが見ていない隙に、鳥居をくぐらずに鳥居の横から境内に入りました。
もちろん、神さまに参拝など出来るわけがありません。
うまくごまかしてみんなの後ろでもじもじしていたのを覚えています。
信心する違う神さま仏さまの処になんか行ったら地獄に落ちると子供心にも信じていたのでとても恐かったんだと思います。
けど、みんなと一緒にお祭りに行きたかった。苦渋の決断(笑)だったんでしょう。

そんな子供時代を過ごしてきた私自身にとって、「信心規制?のある宗教団体に属する」と言う事よりも直接ご神仏さまと向き合う事が一番大切な事と思っております。ですから、いずれの宗門宗派、宗教団体にも属しておりません。
どのご神仏さまに対しても平等に私自身の「信仰」があるのです。

では、「信仰」とはどのようなことなのでしょうか。
英語では「faith(フェイス)」と言います。Wikipediaから引用させて戴きますと、
「神や仏などを信じること。また、ある宗教を信じて、その教えをよりどころとすること。」とあります。証拠抜きで確信を持つことなのですね。
また、信仰のことを仏教においては「信心(しんじん)」と呼ぶことが一般的であるようです。この「信仰」というのは、一つの神さまや仏さまを信じるのも「信仰」ですし、いろいろなご神仏さまを信じるのも「信仰」です。
ただ、「宗教」となると、先程書きましたように本人の考えや気持ち以外にその団体におけるさまざまな規則・規制が出て来てしまうのです。
つまり、「宗教団体」においては、その枠の中での「信仰」となります。
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長々と書きましたが…
私の場合は『「個人的な信仰」であって「宗教団体で宗教活動」をしているのではない』と言う事なのです。
ですので、宗門宗派、宗教の規制なくご神仏さまとコンタクトさせて戴けるのです。
いやぁ、ややこしいですよね~。(@_@;)
私のつたない説明でしたが、「宗教」と「信仰」の違い、おわかり戴けましたでしょうか??(^_^;)

賛否両論あるかとは思いますが、信じるご神仏さまがあれば宗教団体に属していようが居まいが、どのご神仏さまを崇敬しようがしまいが、どちらでも良い事と私は思います。
大事な事は、その信仰される方が違う信仰の人を誹謗中傷せず、人さまに自分の信仰を強要せず、そして人さまに迷惑を掛けずにご神仏さまを信仰し、ご本人が日々、健康で幸せでいることが出来る毎日であるならば良いのですから…。(^_^)



神さまとのご縁を戴けてからが本当のスタートライン

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見えない力に守られる事の素晴らしさ、大切さに気付かれて
ご自宅に神さまをお迎し神祀りする事が許された。
ご神縁を戴き、お祀りさせて戴く事ができ、毎日、生かさせて戴いている、常に見守って戴いているという事への感謝の心を忘れずにいられるようになられた事でしょう。
例え、辛い事が起きようとも、信仰心を持つことにより、決して他力本願にならず、自分を強く持ち乗り越えて行けるんだという真の強さを感じるようにご自身が変わられて来た事に気付かれた事と思います。
そうなのです。
そしてまた、神さまとご縁を戴けてからが「本当の始まり」なのだと言う事を知って戴きたいと思います。
神さまをお祀りしたからと言って、「困った時の神頼み…のような他力本願」もいけませんし、「棚ボタの怠惰な気持ち」はいけませんね。
まず、ご自身がしっかりと大地に足を着けて、そしてご神仏さまと真摯に向き合う、
自身の心身と向き合い受け止めて生きることこそが大切なのです。

私たちは何か障害が起き何か事あるごとに、その都度、御神仏さまとの距離が離れたり、近づいたりしてしまいます。
いくら御神仏様を御祀りしていても、所詮は弱い人間。
いろいろと悩み、見えない力に対しての疑問が生まれてしまいます。
「いつも信仰しているのにどうしてこんな不幸が起きるのか…何故、守って下さらないのか」

御神仏さまはいつも変わらずに同じ位置で私たちを見守ってくださっています。
そして、しっかりと精進して歩く姿を見守ってくだり、間違った方向に行かぬように軌道修正してくださいます。
今までは神さまの存在すら知らず、神さまに見守られている事すら信じていなかった頃…
例え、試練と為るものが出てきたとしても、今までは乗り越える力など全くなかったのです。
神様の大きな力に守られている自分を信じて進むこと。
正直に、ただ真っすぐに、一生懸命に・・・。ただ、それだけです。

八百万の神々が存在する国、日本

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私達の国、日本には古代から八百万の神々が存在しています。
我々を取り巻く、山、川、草、木・・・全ての自然に神様は宿っているのです。
この神様達を太古の人達は親しみを持ち身近に感じて来ました。
けれども、「神様」は目で見ることができません。
目に見えない大自然の脅威、とてつもない霊力に対して人々は畏れ(おそれ)、様々な祭を通して敬い、祈ってきました。
これが本来あるべき「神の道」「神道」の姿です。
古代の祀り方は、現在の神社にみられる「社を持つ神社の形式」である
「鎮座式」ではありませんでした。
特定の山、川、巨石、樹木など、神様の坐する(います)場所、
神様が宿るもの「依代(よりしろ)」とし、ご神体とされ祀られたのです。
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九月十五日 御祭りです。

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九月十五日 御祭りです。
初秋、日中の日差しは暑いものの、風はからっとしていて気持ち良い日が多くなってきましたね。蝉の声もいつの間にか聞こえなくなって、代わりに夜は鈴虫やコオロギの大合唱です。
また、日本中のあちこちの神社では御祭りの開催が沢山、催されますね。
京都・伏見稲荷大社ではご鎮座千三百年奉祝大祭が十月八日、九日、十日と催されます。
大祭神賑が(神様へのご奉納)として雅楽、能、舞、邦楽器演奏、詩吟など様々に執り行なわれ、とても賑やかな御祭りとなることでしょう。

少しずつ、夏の疲れが出やすくなってくる時期。
体調管理に気を付けてくださいね。
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くりぼっくり

Author:くりぼっくり
神さまと人と動物たちの中取り持ち役として・・・。

宇迦之御魂大神様の厚き尊き御神徳の元、
神職、スピリチュアルカウンセラー、スピリチュアルアニマルヒーラーとして皆さまと動物たちの魂の救済をさせて戴いております。

☆御相談、詳しいお問い合わせ等は「みどりの杜」HP、「お問い合わせフォーム」からお願いいたします。
http://takanooffice-midorinomori.com/

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