九月八日、九日 伏見稲荷様月参拝 神様からの御言葉

当初、私の予定では今回の月参りは九月七日、八日の土日に掛けて上がらせて戴く事にしておりましたが
私事色々ありました為、急遽、今月の月参りを見送り来月に上がらせて戴こうかと直前まで悩んでおりましたが独りで悩んでいても仕方がない。再度、神様にお聞き致しました処、日、月で参れ。必ず上がる様にとの事。
神様の仰る通りの日程で上がらせて戴きました。台風の影響も全くなく雨も降らず、暑くなくいつもよりも湿気も少なく過ごしやすい日となりました。この様な恵まれた日に上がらせて戴きお陰さまで蚊にボコボコに刺されなくて済みました(苦笑)

今回も夕方に自宅を発。実家に立ち寄った後で東名、伊勢湾岸道、神名神で伏見稲荷様に十一時半頃に到着。今回はいつもよりも少し早く出たせいか着く事が出来ました。
到着すると「帰って来た」という不思議な安堵感にいつも包まれるのはここ、伏見稲荷大社だけです。前世での事、ご先祖様のご縁等色んな事が関係しているのでしょう。
今回も、本当に嬉しくて日々の辛い出来事、様々な不安がスーッと浄化される瞬間です。
この様な事を体感させて戴ける事は本当に幸せです。

さて、まずは手水舎で口、手を清め拝殿に向かい神様に御挨拶に向かいます。

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伏見稲荷大社は主祭神の宇迦之御魂之大神様をはじめとする五柱の神様をご奉斎しております。

全ての神様にこうして今月も無事に月参拝が叶った事、日々、皆様や動物達そして私共家族を含め深く大きなご守護戴き衣食住に何不足なくさせて戴いている感謝と共に
ささやかながらお玉串をお上げさせて戴き、お礼を申し上げまして今月も又、変わらぬご守護を賜ります様にと御挨拶させて戴きした。また、これから命婦専女大神様、そしてお山に上がり末廣大神様に御挨拶に参りますと御報告しました。

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大神様にはあれこれと申さずにおります。やはり、大神様は会社で言えば社長の様な存在です。現場は全てご眷属様にお任せしていらっしゃってここぞ、と言う時にお声を掛けて下さったりご守護して下さいます。ですので、いつも月参拝の際にはとても特別な事が無い限り、細かい事はご眷属様にお話ししますとお伝えしお礼を申し上げて下がらせて戴きます。

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私の守護眷属神であられます命婦専女大神様。
お掃除をさせて戴き御神饌をご用意し、お玉串をお上げさせて戴き大祓詞、稲荷大神秘文を奏上させて戴いた後、今月も無事に月参りが叶いました事、日々、神様の御守護を賜り皆様、動物達、私共家族共々、衣食住に何不足なく健康で無事に過ごさせて戴いていることの感謝を申し上げました。

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そして神様と対座させて戴き本日は時間的にゆっくりとお話しをさせて戴きました。
私自身の事、と申しますよりも今後、今まで以上に皆さまや動物達の為にお役に立つ事が出来るか、どの様にして行ったらよいかという指針をお話しさせて戴きました。
私の頭で考えている事等、神様は全てお見通しですからわざわざ、申し上げなくとも宜しいのですが(^ ^;)けれど、神様は私の言葉を全てお聞きになられて様々な御助言をお与えくださいました。
沢山の事を私に分かる様に丁寧にご説明して下さいました。
全てを要約すると「慢心、我心あらぬべからず。初心忘るるべからず。何かあらば我らに願い乞いなさい」との意でございました。
御相談者を心配するがあまり、人知で独りで何でもやろうとしてしまう、言わば私と言う我心が前に出てしまう事があります。いくら私が常に気を付けていようとも時としてこの心が出て来る事があるのです。謙虚である事。神様に委ねお任せする事。この事がとても重要な事なのです。私は神様のお使いなのですから。

時折、神様が私の心を観られ私が未だ、頭で分かっても心で理解出来ていないと神様から強い波動が伝わり身動きが取れない程でした。
私が学ぶべき課題はしっかりと身体にたたき込む必要があるのです。
何故なら、この事が全ての基であり、それほどまでに重要で全てであるからなのです。
ですから、神様は私が心身で理解したという事が神様に伝わるまでは生半可な事ではお許しくださいません。
私が神様の御心をお受けしてようやく理解出来た時、スーッと解き放たれた様な安心感で包まれました。
神様は私に対しては決して無理難題は申しません。
まるで赤子を諭す様に私が理解するまで体得するまでその時をお待ちくださいます。
この様に未熟な私を見守って下さる事。本当に有り難いことです。
時々、あまりの自身の愚かさに情けなくなる事もあります。頭では分かっていても中々実行できない。歯がゆい自分、落ち込んで凹んでしまう自分がいます。
そんな私の心も全て分かっているから、と神様は畏れ多くも仰ってくださいました。
自分で何もかも解決しようなどと思わないで良い。何かあらば我らに乞い願えと。

私の神様は、ああせいこうせい、岩山を登れ滝に打たれて荒行せよなどという事は決して仰いません。しなくても良いと言う理由も仰いません。
確かに荒行のような厳しい中に自分を置き、自らを見直す時を持ち悟りに近づく事をする事はとても大切なのだと思いますし、この世に降ろされたからには行はしなくても良いというのではないです。
以前に私も古神道仲間で修験道の行をされていらっしゃる方がいて、私に「滝行等はしないの?すればいいのに」と言われた事がありました。私も「しなきゃいけないのかなぁ、でも神様は何も仰らないし。。。」

何度か悩みましたが答えとして出した事は、私はこの私達が生きる厳しい下界での日々の事こそが行なのである。しっかり精進努力せよ、体得せよ、と神様は仰っていらっしゃるのだと。
初心を忘れることなく今、この時を与えられた時間を一生懸命に生きねばと言う事なのだ、と改めて思ったのです。
人の世で行を積むか、下界を離れて行を積むか、、、それは場所や手段ではなく中身、内容が大切なんですから。


さて・・・ゆっくりと神様と向き合き合わさせて戴き、千本鳥居を通り抜け、奥の宮です。

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白狐さまに御挨拶をしてこれから稲荷山に上がります。

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途中、権太夫さま、眼力さまに御挨拶です。

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いよいよ、一の峰の末廣大神様に近づく最後の階段です。

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私達の愛猫達が迎えてくれました。先日、亡くなった愛猫のももちゃんも稲荷山を見学中の身で駆けつけてくれました。
若き日の元気な彼の姿に思わず眼が潤みました。

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稲荷山の頂上、一の峰にご鎮座されていらっしゃる末廣大神様にやっと到着です。

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御神前やその周囲を丁寧に主人がお掃除をしました。
御神前の両脇にある蝋燭の台がずぶ濡れになっていて前日の雨がかなり酷かった事が分かりました。御神饌をご用意しささやかなお玉串をお上げさせて戴きました。
こうして無事に共々、一の峰に上がる事が出来ました事、日々、衣食住に事欠く事無く、皆さまや動物達、私共家族共々、健康で幸せに過ごせた事、心から感謝申し上げまして今後も又、ご守護戴けます様にお願い申し上げました。


末廣大神様は主人の守護神様です。(勿論、私の守護神様でもあられますが)
いつも主人が先達として大祓詞、稲荷大神秘文を奏上し、それぞれに神様に総括的なご挨拶申し上げて貰います。
そしてその後、主人の事などについて私が代理で末廣大神様とお話しさせて戴きました。
深く温かき御神託を戴く事が出来ましたのでその内容を主人に伝えました。
又、主人は主人で神様とお話し出来た様です。
稲荷山の頂上の一の峰で末廣大神様に本日も二人共とても心豊かな時を戴きました。

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神様は霊能力があるないに拘わらず、真摯に神様と向き合う事、一生懸命に正直で謙虚な態度でお話しされる人が本当にお好きです。
私も時として気が緩み軸がぶれたり我心慢心が出て来るとすかさず厳しき「渇」が入り正道に戻して戴きます(苦笑)

よく私は皆様に私の神様の事を御慈悲あられる優しい神様であるとお伝え致しますが、
この優しさとは厳しさでもあるのです。
愛とは単に相手に与え過ぎて相手の学ぶ機会を奪う事が愛ではありません。
私の神様は決して私を甘やかしたりは致しません。全てを体験し体得せよ、と仰り
喩えその体験が辛く苦しい事であろうとも全てを観て経験する様にさせられるのです。

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さて、話しは戻りますが今回も末廣様の神前にある御簾に無数の自分の名刺を差し込んでありましたので御簾がみるで名刺差しの様でした。
毎回毎回、御参拝する度に悲しくなります。この様な事が神様に対する御挨拶なのだろうかと。
神様に自分の名刺を観て願いを叶えて戴く為なんだから良い事だ、その事を何故いけない事なの?と思われる方もいらしゃるかもしれませんね。
けれども、「御簾は何のためにあるのか?」自分の思いのままの行動のみで、それすらも分かろうとしない。
神様に対して無作法な方達の足跡としてだけである、と私には映りました。

神様の元には全国から沢山の方が参拝されます。
自分さえよければ人の事は構わない、神様がどう思われよう自身の思いだけを押しつける、と言う自己中心的なお参り。
日頃、何の感謝もない。神様の存在への崇敬もないのに困った時だけの神頼み。
ついでのお参り、財布に丁度あった小銭を投げ入れる、棚ボタのお願いはいけません。
貴方のお願いと言うものは、そんなに軽々しい簡単なものなのでしょうか。
その様な方の前には神様は決して、お出ましになられお聞き届けてはくれません。
神様は全てお見通しです。

どうか皆様、神様にご自身の思いを素直に正直にありのままをお伝えくださいませ。
人知で叶わない事はご自身で抱え込まない事です。貴方は決して独りではありません。
見えないけれど温かく深く尊い神様の御守護をいつも戴いていらっしゃるんです。
必ず神様は貴方の事をみてくださっていらっしゃいます。
苦しい事辛い事が何か困難があった時、喩え立ち止まろうとも、前を向いて行く勇気を持ち進むならば必ず、光をお与えくださり道が見えてまいります。

今回も無事に月参りをさせて戴き様々な学びを戴きました。
毎回の参拝。いつもいつも何かある度、軸を整えてリセットして戴けます。
本当に神様とのご縁に感謝です。

さて、安全運転で伊勢湾岸道路を走り帰路に向かいました。
日の出の時間が少しずつ遅くなってきた様です。もう、秋なんですねぇ。。。

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神様から浄化戴き一杯、パワー戴きました!!
改めて、私は独りではない!!という幸福感で一杯です・・・。
さあ、今月も元気に前進です!!




























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No title

いつもブログを拝見させて頂いている者です。
毎回ブログが更新される度に、色々と自分のためになる大切な事が書かれていて、神様の事についても色々知ることができ、大変勉強になります。
今回のブログ記事にある御簾の名刺の事についてですが、稲荷山に御鎮座する数々のお社の御簾に名刺が差し込まれている事は、私自身も伏見に上がった際に目にしているため、よく知っています。
最初はなぜ名刺が挟まっているのだろうか疑問に思う程度でしたが、後にして商売繁盛を願う参拝者がお社を訪れた際に、祈願の意味で名刺を差し込んで置いていくのだという事を知りました。
ただ、実際に神前の御簾がどういった意味を成してつけられているものなのか、知る人は少ないでしょう。
その意味を知る人は信心深い人や信仰に深く関わる人達が大半なのではないのでしょうか。
お社には「名刺を差し込むな」といった注意書きの立て看板もなければ、そうした行動を注意する人もおらず、差し込まれた名刺が勝手に処分される事なくそのまま残っている状態なのですから、見た人にとってはこの行為は良いことと勘違いしてしまう人も多いでしょう。私もその一人です。
こうした御簾に名刺を差し込む人達には、会社の名刺が差し込まれていることからも考えると、自分の会社、店舗だけ売上や業績が上がるようにといったような、私利私欲に紛れた自己中心的なお願い事だけをする参拝者に多いように思います。
ですが、御簾に名刺を差し込む全ての人がそうした意味合いでやっているとは限らないとも思います。
今回、御簾に名刺を差し込む人達の行動を一括りにして「神様に対する無作法な方達の足跡」と書き立てて批判するのは、自分中心な願い事ばかりを通そうとする考え方を持った人達の行為に対しておっしゃるのなら、まだ分からなくはありません。
しかし、中には純粋な感謝の気持ちで参拝し、神様とのご縁の印として、良い行いだと勘違いしてやってしまわれる方も少なからずいるはずですから、読む人によっては大変不愉快な気持ちになりかねないと思います。

最後にですが、理由はどうあれこのような行為が神様に対し失礼にあたるのなら、止めるべきでしょうね。
今回も、色々と勉強になりました。
ありがとうございました。

Re: ありがとうございます

シロクロさま、いつも私のブログをお読みくださいまして、又、温かく丁寧なコメントありがとうございます。

貴方様が仰る様に、御簾に名刺を差し込まれた方の皆様が全て私利私欲の塊、という風な表現で私が書いてしまった事で貴方様を始め、そういう意味合いでされてはいらっしゃらない方、神様を崇敬されていらっゃる方々には嫌な思いをさせてしまったのかもしれません。
私の書きました文章の表現に足りない部分があり、御不快な思いをさせてしまいまして大変申し訳ありませんでした。

唯、神様のお立場として考えられたらよろしいのではないかな、と言う私個人の思いを込めて今回、この様な事を書かせて戴きました。
稲荷山の頂上まで上がり神様に御参拝下さっている信仰のあられる方々の事に対し
決して単なる批判、悪口と言う事の枠だけで書かせて戴いたのではありません。
その事だけは御理解戴ければと存じます。

御簾に名刺を差して行かれる事についてですが、もしも御本殿の御簾が末廣大神様の御簾の様に御参拝の方の手の届く処に降ろしてあったならば皆様はどうされたでしょう。
喩え私利私欲の塊の様な方では無く御挨拶、お礼参りと言う事でとても純粋の気持ちだけであられる方も同じ様に御簾に名刺を差して行かれるのでしょうか。

御簾は、ご存知の様に神様の御神域と人との境を区別する為の物でございます。
これは特別、信仰の深い方で無くともお分かりではないかと思います。
御簾は神様のお住まいの玄関、門という様なものです。
でも、それは私共の家の玄関や門などと同じ様に単なる境を記す物だから特別に考えなくても別に良いのではないか、と言えばそれまでの事でございます。
人それぞれ賛否両論あられましょう。
けれども、神様は私共とは別格な存在であられると私は思っておりますので単なる御簾であろうとも別格であると思いたいのでございます。

もしも神様に対して御自身のお名前の書いたものと共にきちんと神様にお礼をされたいとお考えの場合には、きちんとお玉串として御奉納される際にお名前をご明記されお礼申し上げる方がより、神様に礼節を持ってお礼出来る方法としてはよろしいかと存じます。

神事では神様には畏れ多い事ではございますがどうかお聞き届けくださませ、と日頃の感謝を込めると共に改めて御祈願の祝詞を奏上致します。
御祈願、感謝を申し上げる時には、どのようにされたら神様が気持ち良く私共のお言葉をお聞き下さって戴けるか、と言う事が常に大切なのだと心に留めている事なのです。
古来は神様のお名前を申し上げるのも畏れ多い事として神様のお名前をお呼び出来なかった時代もある位、神様は畏れ多い存在なのでございます。

皆様、それぞれに神様に対するお考えがあられますので何が正しい何が間違い、と言う事ではございませんが、大切なことは、立て札には特に書かれていない、禁止事項にはない、という単純な事ではない、それ以前の事なのではないか、と私は思うのです。

まだまだ未熟な私ではございます。そして全てを御理解戴けるのは大変難しい事かとは思いますが、今後とも精進努力を続け神様に真摯に向き合わせて戴き随神の道を進んでまいりたいと存じます。

又、何か疑問、表現的に御納得戴けない事等あられました時にはいつでも御意見御指導戴ければと存じます。
どうぞよろしくお願い致し上げます。


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くりぼっくり

Author:くりぼっくり
神さまと人と動物たちの中取り持ち役として・・・。

宇迦之御魂大神様の厚き尊き御神徳の元、
神職、スピリチュアルカウンセラー、スピリチュアルアニマルヒーラーとして皆さまと動物たちの魂の救済をさせて戴いております。

☆御相談、詳しいお問い合わせ等は「みどりの杜」HP、「お問い合わせフォーム」からお願いいたします。
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