稲荷神、狐の祟り!??

お稲荷様って恐いんじゃないのか、祟られるって聞くけれど??等などの事を聞かれる事が
あります。

これは神様に対して知識が殆どない御相談者様からに限らず、神様に関して専門家である神職、神道関係の方からもそんな声があったのにはびっくりと言いますか、
とにかく残念な気持ちで一杯です。
以前にもこの事をブログ記事として掲載したことがございます。
けれども、未だにその事が払拭されていないのだと言う事を改めて知りました。

皆様は伏見稲荷大社、祐徳稲荷神社、笠間稲荷などにはいらしたことはございますでしょうか。もしも、お稲荷様が邪神、祟りの神だったとしたら、このような壮大な素晴らしい神社として存在していないはずです。
そして、神様から尊きご守護を戴いたとして感謝と共にご奉納された多くの崇敬者の方々が名を連ねていらっしゃいます。
これは古くは平安時代にも遡り天皇を始め貴族、清少納言もご参拝されております。
そして、かの豊臣秀吉公も母君の病気平癒祈願成就のお礼にと伏見稲荷大社の楼門を寄進されました。これらの数多くの方々に崇敬されている神様、稲荷大神様が「祟り神」であるなどと言う事は言える筈はございません。

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世間一般で広まった間違った知識、偏見的な考え方、風評が今の状態を作り上げてしまったのでしょうか。
私達にとても身近なお稲荷様だからこそ、この様な誤解が生じてしまったのかもしれません。

確かに「狐さま」と呼ばれているお稲荷様を祀って様々な恩恵があったにも関わらず、
その後、感謝の意もなく疎かにしたり祀らなくなった、神様に断りなく祠を自分達の都合で勝手に取り除いてしまったり壊してしまった後、様々な禍が起こった、というような事をよく聞きます。

この様な状況になった場合ですが、神様の立場になってよくよく考えてみれば「今までちゃんと守って来て散々、福をもたらして来たのにこの仕打ちはなんなのだ!?」と、祠などを何の断りもなく壊されて行き場を失った神様が怒り暴れるという事も理解できなくはありません。
ご利益を戴いているのに自分たちの都合で祠を壊したり祀りをいい加減にしたり疎かにする行為の方が問題だと思います。これは喩、正神界の神様であられても、禍を起こさないまでもきっとお怒りになられ気づきをお与えになろうか事かと思います。

けれども、ちゃんと礼節を守り一生懸命に祀って来た。お陰様で商売も軌道に乗り何店舗も増やす事が出来た。が、転げ落ちる様に急に商売がうまくいかなくなってしまい倒産、一家離散、家族は訳の分からない奇病になってしまった等の禍が起こってしまった。そんな事例もよく耳にしました。
この場合には別に神様の機嫌を損ねるような事もしていない無い筈ですし、決して祀る側には落ち度はない筈ですから神様の事を疑っても仕方ないかと思います。

これら異なるケースにおいて、それぞれに共に禍が起こってしまったのはなぜ?
何が原因なのでしょうか。

この禍は本当に神様がした仕業なのでしょうか。
神様と呼んでいた存在は本当に正しい神界にいらっしゃる霊格の高い神様だったのでしょうか?


稲荷大神様にかかわらず神様にはそれぞれに霊格があり、そして喜怒哀楽等のような様々な面の性質をも持っていらっしゃいます。道理に合わない事、正義でない事にはお怒りになられる場合もございます。私たち人間は皆が聖人ではございませんからちょっとした事で魔が差したり過ちも犯します。そんな時、何か間違った道に行こうとした時には正しき道に戻れるように、厳しい助言をされたり、敢えて過酷な状況に敢えて身を置かされて気付きをお与えくださる場合もございます。

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けれどもその怒りとは、一生懸命に努力している人達に向かって仰られる事。
何か改善の余地がある、見込みがあると神様が好まれ選ばれた方のみに対してしてくださる、謂わば、「愛の怒り」であると私は思うのです。
神様がどうでもよい、と判断されればソッポを向かれてしまいます。
これは、人間でもそうですがどうでも良い人間に対してわざわざ説得ようとしたりアドバイスしようなどとは思いませんね。改善の余地の無い様な人、私利私欲の塊のような人ならば、無視をしてこちらからは何も言わないでしょう。それと全く同じだと思います。

しかし、ただ単に神様がその人を守護するのが途中で嫌になったり神様のご気分で止めてしまう等という様な低レベルな自分勝手な事は正神界の神様は決してなさいません。
もしも、それをするとしたら邪神邪霊の低級な存在、神様になり切れない中半端な存在がする仕業なのです。正しい神様、霊格の高い神様である邪神、邪霊、低級霊でない神様は祀る人に対して悪さをする、と言う事は決してないのです。

さてそれでは、祀っている側の気持ち、の方はどうだったのでしょうか。
神様をお迎えし祀る事・・・それはとても大変な事です。
その時だけ何となく祀る、単に商売繁盛、ご利益を貰いたいから自分の私利私欲だけの為、願いを叶えたいからと言う事だけ安易にお札を貰って来る、お札よりも効果がありそうだから御靈を戴こう、では神様に対して失礼であると思います。

「祀る」と言う事は、神様の存在に感謝し日々、真剣に神様に向き合い生きていくという事なのです。
神様に対して礼節を持って祀る。神様に御守護戴いて日々、正業させて戴ける事の感謝と共に日々、誠心誠意、益々、向上すべく一生懸命に努力する。
「祀り」は尊い「信仰心」の現れです。
神様を祀る、と言う事は唯、祈願を叶えて戴こうとする、唯、神様に縋るという事ではないのです。
感謝を込めて素直な気持で真摯に向き合う事こそ「祀り」であり、「信仰」であると私は思うのです。

私のブログ記事に稲荷大神様に関しての記事がございます。
もう少し、稲荷大神様について紐解いてご覧になられたい方はこちらをご覧くださいませ。

http://anitanchuchu.blog.fc2.com/blog-category-16.html

http://anitanchuchu.blog.fc2.com/blog-entry-89.html

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伏見稲荷大社 御祭神 四大神(しのおおかみ) ⑤

紀朝臣(きのあそん)に代わり、秦氏一族が稲荷山一帯で勢力を誇る様になり稲荷山の三が峰に稲荷大神がご鎮座されました。
秦氏に信奉されてくるにつれて紀氏の人達は荒神峰に鎮めた別雷神を祀る大八嶋神社を改めて山裾の藤尾(ふじのを)の地に遷しました。
そして、別雷神と紀氏の祖先である武内宿禰、宿禰と縁深い八幡神(応神天皇)とその御母であられる神功皇后とを併せて四大神という名で呼ぶようになったそうであります。

御本殿最北端座に奉祀されている田中社に相対して大八嶋社は御本殿最南端に御奉祀されております。そして田中社のご鎮座の由来が定かではないのと同様に伏見稲荷大社の境内の禁足地に「大八嶋社」は四大神が社殿を持たない神として祭祀されております。

大八嶋社


ご祭神名に関してですが、田中社は農耕神的な色合いが強いのに対して四大神は四柱が一座に御祭祀されているのが定説とされておりますが、神名については異なった神名をそれぞれの方々が唱えていらっしゃいます。
その中には洛西松尾大社御祭神の一座として四大神が祀られているという定説もあるようです。

例えば「水台記」では、『底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)、神功皇后(じんぐうこうごう)』の四柱で一座とし、「神祇拾遺」では、『五十猛神(いそのたけるのかみ)、大屋姫(おおやひめ)、抓津姫(つまつひめ)、事八十神(ことやそがみ)』としている。
けれども、ご祭神の神格、ご鎮座の経緯は不明です。
何故、一柱の神名を四大神と呼んだのかも四柱の総称なのかも定かではありません。

伏見稲荷大社のHPでは、田中大神、四大神について「元は稲荷神と何らかの深い関わりがある地主神、あるいは土着神的傾向が濃厚にあるようです」と書かれてありました。

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専門家諸氏も様々な見解を述べられています。前田夏蔭は四大神を「若年神(わかとしのかみ)、夏高津日神(なつたかつひのかみ)、秋比売神(あきひめのかみ)久久年神(くくとしのかみ)」四柱としています。
これは、秦氏(伏見稲荷大社を創建した)によって創建された松尾大社には四大神神社が境内末社としてあり、この御祭神は現在の神名で表記すると、「春若年神(はるわかとしのかみ)、夏高津日神、秋比売神、冬年神(ふゆとしのかみ)」としてあり「先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)」では、久久年神を冬年神として四柱としております。
「古事記」では大気都比売神の子に「若年神、夏高津日神、秋毘売神、久久年神」の名があります。久久年神に関しては「久久の二字は音を以ゐよ」との注記があり、『冬』ではなく、「久久」が正しいとして前田夏蔭、本居宣長も茎の意とした様です。
前田夏蔭は四大神は宇迦之御魂大神と同じ様に「食物神」の大気都比売神から生まれたこれ等神々の御名は春夏秋冬、稲が生長していく様を現しているねとの見解があったようです。
ただし、松尾大社の四大神社の祀られる経緯は定かでございません。
伏見稲荷大社の境内末社には大八嶋社(おおやしましゃ)がございます。
この御祭神も四大神です。松平健氏は大八嶋社を竈戸殿(かまどの)ではなかっただろうか??との推測の元、御祭神の四大神は竈の神だろうとの見解としているようです。

いずれにしましても、この様に一言で「お稲荷様」申しましても本当に複雑で沢山の諸説があり、どれが定説なのか真偽のほどは分かりませんが、
言える事は、全てがお稲荷様であられて五穀豊穣、衣食住の全てをご守護くださり、その深く尊い御力の御加護を私達は日々、戴けている、ということでしょう。
日々、神様の御神徳を戴ける事に感謝ですね。

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伏見稲荷大社 御祭神 田中大神(たなかのおおかみ)④

伏見稲荷大社の御祭神は平安初期から三座がご奉斎されていたと記録されるようになりました。
伏見稲荷大社の見解では、下社に主祭神であられます宇迦之御魂之大神さま、中社に佐田彦大神さま、上社に大宮能売大神さまを祀られたとされ、後に新たな三座は、下社摂社・田中社の田中大神さま、中社・摂社の四大神さまとなり、現在ではこの五座を合わせ稲荷大神と称されております。

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田中大神さまや四大神の御名は、平安時代末の藤原頼長の日記である「台記(たいき)」に見られ、「神祇拾遺」によれば弘長三年(1263)にこの二座を加え五座とされたという記述があります。

宇迦之御魂之大神さまと同様にかつては記紀に出て来るような神々と同じにみなされており大己貴神(おおなむちのかみ)や佐田彦神、鴨建角身命(かもたけつぬみのみこと)などと同一視されました。どのような経緯で伏見稲荷大社に祀られる様になったかは定かではありませんが、その名の通り「田の神」であられたのではないかと推測されています。

伏見稲荷大社では「元は稲荷神と何らかの深い関わりがある地主神、あるいは土着神的傾向が濃厚であるようです」としております。(伏見稲荷大社HP)

稲荷山は古くから三が峰といわれており、秦氏が三ノ峰に稲荷大神を鎮座される以前からお山一帯は神奈備山として信仰の霊山でございました。
この地帯を紀の郷(後に紀伊郡)と呼び、紀朝臣(きのあそん)の人達が栄えておりました。

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今日の東福寺の西の辺りにある一群の森を神籬(ひもろぎ)として定めており、加茂(下鴨)の建角身命(たけつねみのみこと)を鎮めて田中神として崇めていたと伝わっております。
この社は、延喜の制の名神(みょうじん)小社の飛鳥田(あすかだ)神社で稲荷本社から伏見街道から北方に御鎮座いる境外摂社の田中神社がその一部であると伝えられております。
この田中神社とお山の荒神峰にあられます田中社神跡との関係は諸説ございまして今日でもはっきりとした定説がありません。

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様々な資料や専門家諸氏のお話しをお聞きしても本当に謎だらけの田中社でございます。

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お稲荷さまは不思議が一杯の神様かもしれませんね。
歴史的背景はとても参考になりますが、真意の程はと言うと、???がとても多くあります。御神名や同一とされる御神体の事等、疑問も多々ありますし。
そんな時には、私は直接、神様にお聞きしますが、こうした歴史を紐解いて様々な事を学ぶ楽しさ、ワクワク感!! は測り知れません。
やはり、歴史的ロマンは捨てがたいですもの。(^ ^)

皆様も是非、様々な古い歴史的文献、古書などの一ページを開いてみてはいかがでしょうか。
きっと、新たな発見がある事でしょう。






伏見稲荷大社 御祭神って? ➂ 佐田彦大神 大宮能売大神

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佐田彦大神様は降臨してくる天孫を先導する為、その道の途中に待機していたと道開きの神「猿田彦神」に同一とされております。
つまり、「サルタ」が「サタ」に変化して「佐田彦」となったかと考えられているようです。
「サルタ」と言う語は「先導」とか「先端」を意味するとも考えられるようですが「日本書紀」によると、猿田彦神は伊勢の狭長田に降り立ったとされており、この「サナダ」も「サルタ」も神聖な田を意味するとも言うそうです。

この様に経緯は不確かではありますが宇迦之御魂神様を主祭神とする神社に猿田彦神が祀られるのはこういった意味からか何かしらの関連性が認められるのではないかと言われております。

また、宇迦之御魂大神様の他に祭神として太田命という神名が上げられる事もあったようですがこの太田命は「神道五部書」では猿田彦神の別名、又はその裔であるともされているようです。

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大宮能売神様は。『古事記』では天宇受賣命、『日本書紀』では天鈿女命(あめのうずめのみこと)とも申し神祇官に祀られた八神のうちの一柱として朝廷で重視された女神です。
《この神祇官に祀られた八神とは、律令制のもと、神祇官西院の八神殿に設けられた神々の事で「古語拾遺」の表記に依ると、第一殿・神皇産霊神(かみむすびのかみ)以下、高皇産霊神(たかみむすひのかみ)、魂留産霊(たまつめむすひ)、生産霊(いくむすひ)、足産霊(たるむすひ)、大宮売神、御膳神(みけつかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)の天皇を守護する八神(御巫八神・みかんなぎはっしん)の事です。》

大宮能売神は「延喜式」祝詞の大殿祭(おおとのほがい)に宮殿内が平穏である様、守護する働きを持つ神と称えられました。

又、「古語拾遺」では、太玉命(ふとだまのみこと)の子で女官が善言美詞(にぜんげんびし)よって君臣のあいだを和らげる様な働きをすると説明されております。
「神祇拾遺」(室町後期)では、第三殿の祭神を大市姫、又は大宮命婦としており
これは宮廷の女官を意味しているといえます。

松前健氏はこの大宮能売神を宮廷祭祀における「神饌を取り扱う巫女の神格化したもの「稲荷明神」とみているようです。
そうであるとすれば、稲荷の三神は稲の神、田の神、神饌に関わる神と言った関連があるということになりましょう。

今回も稲荷神について様々な専門家諸氏の資料を基に様々なお話しさせて戴く事ができた事、心から嬉しく思います。
この様に単に「稲荷神」という神様は宇迦之御魂之大神様を筆頭に由緒正しき様々な神様であられるという事がお分かり戴けたかと思います。
そして「お稲荷様」=「動物」「崇り」という式もおのずと皆様の認識の中から消え去る事でしょう。

次回は田中大神、四大神の事についてお話しさせて戴きます。

宇迦之御魂大神様とはどのような神様なのか?

以前に私の守護神様であられる伏見稲荷大社の主祭神の「宇迦之御魂大神様」(うかのみたまのおおかみさま)はどんな神様なのか簡単にお話しさせて戴いた事がありました。
記事はこちらです。

※「宇迦之御魂之大神様ってどんな神様なの?」

今日は神様の由緒来歴等についてもう少しお話ししようと思います。

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「ウカノミタマ」の言葉については諸説ありまして、肥後和夫先生の伏見稲荷大社・朱十号に掲載された記事の中のお言葉を少し抜粋させて戴きますと
「比較的新しい時代に作られたようで発生した正確な年代は明らかではない。稲についての嗜好の中から発生し、それが強くイナリに結びついて出来た言葉であろう。
「イナリ」という言葉と「ウカノミタマ」と言う言葉には直接の場所や結びつきはないようで祭祀関係者の間で考えられた言葉では無く外の場所で考えられたものと思われる。神の世界の整理統合が行われていくうちにウカノミタマの観念があらわれたのではなかろうか」との記述がありました。
神様の御神名の成り立ちや経緯には本当に複雑怪奇で分からない事が多々ありますが「宇迦之御魂之大神様」の御名もどうもそのようですね。

また、古事記では「須佐之男命」と「神大市比姫(かむおおいちひめ)」との間に生まれた神様と記されており、この両神様の間には兄弟神として「大年神(おおとしのかみ)」という神様もおられます。この大年神様の「年」と言う字は「稲」を意味しており宇迦之御魂之大神様の「宇迦」も稲を中心とする食物を意味しているようです。
皆さまがよく御存じの天照大御神様と須佐之男命はご兄弟神ですので「天照大御神様」と「宇迦之御魂之大神様」とはとても近しい間柄と言えますね。(^ ^)

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けれども「日本書紀」では、ちょっと伝承が異なっているんです。また混乱してしまいますが。。。(x x;)
ある一書には「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」と「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」が飢えて気力の無い時に「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」を生んだという記述があります。御神名の「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」に「稲」の字が用いられている事からやはり稲を中心とする食物の神様だという事が分かります。
古代の日本人の農民達はそれぞれの家にホコラを作り、その中に稲の穂を積み重ねてご神体としてみなして祀っていたのではないかと言われており、つまり「倉」の字が用いられているのは稲を収めた倉に祀る神様を意味していると考えられます。
又、このご神名は別の一書には「宇介能美柁磨」と読むべき事が記されておりますので「宇迦之御魂之大神」とは同一神のようですね。

その他の記述として「古事記」では、「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)」が「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」に高天原(たかまのはら)を統治する様に命じられた際に御頸珠(みくびたま)を授けました。
この御頸珠は「御倉板挙之神(みくらたなのかみ)」と言う御神名である事が記されています。この「御倉板挙之神(みくらたなのかみ)」も「倉」という字がありますので倉に祀られる稲魂(いなだま)であろうと考えられます。
つまり「宇迦之御魂之大神」と「御倉板挙之神(みくらたなのかみ)」は同一神であろうとする説もあります。

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又、「延喜式」祝詞の「大殿祭(おおとのほがい)」では家屋を意味する「屋船」の語が附された御神名で宮殿を構成している木材の神であります「屋船久久遅命(やふねくくのちのみこと)」そして、葺かれている稲藁の神であります「屋船豊宇気姫命(やふねとようけひめのみこと)」の神々に宮殿の平安を祈願しております。
この「屋船豊宇気姫命(やふねとようけひめのみこと)」には「是稲魂(これいなだま)なり。俗の詞(ことば)に「宇賀能美多麻(うかのみたま)」と注記がされており
つまりは「屋船豊宇気姫命(やふねとようけひめのみこと)」は「宇迦之御魂之大神」と同一であるということが記されています。
これ等の神様の御名は地鎮祭の時等に祝詞で読み上げておりますのでご存知の方も多いかと思います。この際には「命(みこと)」ではなく「神」の御名で祝詞を奏上いたします。
この「命」と「神」の違いについては又、別の機会にお話しさせて戴きます。

この様に稲を代表とした穀類の神様は「宇迦之御魂之大神様」以外にもとても多くいらっしゃいます。
食物を意味する「ウカ」や「ウケ」「ケ」という語を中核とする神名を持つ神には
「保食神(うけもちのかみ)」「大気都比売神(おおげつひめのかみ)」伊勢神宮の外宮の「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」「若宇加能売命(わかうかのめのみこと)」等があります。

この様に様々な見解や伝承がありますが、お話ししましたように「宇迦之御魂之大神様」は由緒正しき正神界の神様であられる事、日本人にとってとても大切な稲の神様であられる、つまりは五穀豊穣の神様なのです。
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くりぼっくり

Author:くりぼっくり
神さまと人と動物たちの中取り持ち役として・・・。

宇迦之御魂大神様の厚き尊き御神徳の元、
神職、スピリチュアルカウンセラー、スピリチュアルアニマルヒーラーとして皆さまと動物たちの魂の救済をさせて戴いております。

☆御相談、詳しいお問い合わせ等は「みどりの杜」HP、「お問い合わせフォーム」からお願いいたします。
http://takanooffice-midorinomori.com/

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